フィンランドの教育は、とてもシンプルな原則の上に成り立っています。それは平等、子どもの権利、ウェルビーイングの3つに要約できるでしょう。
教育庁と各自治体の教育計画のはじめに必ず書かれるのは、「性別、年齢、民族的出自、国籍、宗教、信条 、思想、性的指向、病気、障がいによって異なる扱いをしてはならない」ということです。
「異なる扱いをしてはならない」というのは、平等でなければならないこと。いかなる理由によって、差別をしてはならないということです。ここで重要なのは、それはフィンランド憲法第6条「公平」の規定、さらに国連の世界人権宣言第2条の規定とも同様であることです。
また、教育庁と各自治体の教育計画には「1人ひとりの子どもは、あるがままでかけがえがない」ことも、必ず書かれています。そこにはキリスト教的な感覚があるのでしょう。子どもに対する肯定的で温かい眼差しに胸を打たれます。
幼児教育から大学まで教育費が無償平等思想を最もよく表すのは、教育が無償であることです。就学前教育(小学校入学前の1年間)から小中高、大学まで学費は無償。小学校から高校までは教材と給食も無償です。2021年までは、高校の教材は保護者が購入していましたが、同年に高校まで義務教育化されたことに伴って、教材も無償化されました。
日本で幼稚園から大学卒業までにかかる子ども一人の教育費は、国公立に進学しても1000万円、全て私立の場合は2000万円と言われます。費用の差は教育の質の差。一般的に言って、公立学校よりも私立学校の教育のほうがきめ細かいのです。それはアメリカやイギリスと同様のシステムですが、フィンランドから見ると、それは不公平な教育であり、社会です。
フィンランドでは、公立学校が全体の約98%を占めるのも特徴。私立学校は少数ありますが、そこでも教育費は無償。保護者が寄付することはありますが、基本教育法第7条によって、私立学校が利潤を得ることは禁じられています。
教育無償の目的は、家庭の経済状態や文化資本の優劣にかかわらず、全ての子どもが平等に教育を受けられること、平等な出発点を提供することです。
貧困が子どもの可能性を奪ってしまうこと、子どもの教育や進路、将来に影響を与えてしまうことをフィンランドはとても嫌います。貧富の差が教育格差を広げ、それが貧困を再生産する連鎖にならないよう配慮されています。
数値で測る日本、数値にとらわれないフィンランドさてここからは、フィンランドと日本の教育現場での具体的な違いを見ていきましょう。
フィンランドの学校には、学力テストや偏差値がありません。そもそも、日本のような「学力」という概念がないのです。
フィンランドの教育が目指すのは「学力」つまり「学習を通じて獲得した知識」というより、いかに学ぶかを学ぶこと。学力テストなどでは測ることができないことが、重視されているのです。
学力テストや偏差値は、子どもに競争を課すものですが、競争と学ぶことに本質的な関係はありません。もちろん子ども同士の遊びやスポーツで競争すること、楽しむことはあるでしょう。
しかし、大人が介入して子どもを競争させるのは好ましくない、とするのがフィンランドの教育の考え方。それは子どものストレスや攻撃性を増したり、あるいは自分はダメだと感じさせたりするからです。
フィンランドでの評価法としては、自分自身で評価するという方法が取られることが多いです。ある課題について、自分の目的を設定し、終わった時にどれだけ達成したかを自分で評価する。また、グループである課題に取り組むときは、そこに参加した児童が評価するという方法です。
しかし、先生による評価も必要なので、学年の終わりには10段階の成績表が渡されます。日本では5段階で評価され、それぞれのパーセントが前もって決められていますが、フィンランドでは決められていません。
また、生徒個人について偏差値という考え方はありません。偏差値は、テストを受けたグループの中での自分の位置を示す数字。例えば100点満点で90点を取って「良くできた」と思っても、同じ点数を取った子どもが多かった場合、偏差値は下がります。自己肯定感を挫くようなシステムでもあります。
しかし、子どもの能力は多様で、偏差値で測ることはできません。フィンランドの教育で、そうした数値化は意味のあるものと考えられていないのです。
なぜフィンランドには塾がないのか?フィンランドに塾はありません。学校が充分な教育を提供するので、必要がないのです。また、勉強だけではなく遊びや休息、睡眠とのバランスの取れた生活が重視されています。
日本のような受験がないことも、塾がない理由の一つ。フィンランドは小中一貫で、高校入学は同じ自治体、または隣接する自治体の希望校に出願します。その際、選考の基準になるのは中学の成績で、基本的に受験はありません。また大学入学には試験があり、高校生はそのための勉強はしますが、日本のような受験勉強ではありません。
一方、日本では受験のため、あるいは学校教育の不充分さを補うために塾に通う子どもが多いです。学校が終わると夜遅くまで塾で過ごし、学校と塾の二本立てが起きています。それは、公教育の意味と機能を疑わせるものでもあります。また勉強ばかりになって、遊ぶ時間や睡眠時間、何もしない時間を失い、ウェルビーイングに欠ける生活スタイルをも示します。
高校卒業後、必ずしもすぐに大学に進学するわけではないフィンランドフィンランドで全国的な試験は、高校の卒業試験と大学の入学試験だけですが、そのための勉強をする期間は短くどちらも数か月程度が普通で、日本の受験とは異なります。ただし、最近は志望者が増え、試験に合格して入学を認められるのは難しくなってきています。何度かトライする、希望の学部を変える、留学するなどのケースが増えているようです。
面白いのは、高校卒業のほうが大学入学よりも重要で、社会的にも大きなイベントだということです。高校卒業試験は年に2回、3月と10月にあり、上手くいかなかった場合など、3回まで受けることができます。また、受ける科目と科目数は全員同じではなく、自分で決めます。最低4科目を受ける必要があり、6科目程度選ぶ生徒が多いようです。中には10科目近く受ける強者もいます。
高校卒業試験は、人生の通過儀礼であり大人への門出とも重なります。高校卒業は18歳頃ですが、18歳は成人となる歳で、保護者の扶養義務が終わります。18歳は地方選挙と国会選挙の選挙権と被選挙権を得る歳で、法的にも大人。それまでに学んだことを糧として、自分で考え、良識ある大人として生きていくことが期待され、祝福されるのです。
フィンランドの学校や大学に入学式はありませんが、卒業式はあります。5月の終わりか6月初めに開催されることが多く、高校の卒業式の後は、親が親類や友人を招待して自宅でパーティを開きます。
フィンランドでは、必ずしも高校卒業後すぐに大学に入学するわけではありません。高校卒業後、何をするか、大学に入学するとしたら、それはいつ入学するか等は、成人後のことになるので親はほとんど関わりません。そのため高校卒業のパーティは、保護者が子どものために行う最後のイベント。大学入学は、それに比べると地味な出来事なのです。
フィンランドには名門やエリートはない⁉︎平等を重視する立場から、フィンランドは学校格差を嫌うので、日本のような明確なエリート校や名門校はありません。ただし歴史的に古い、高級住宅街にあるなどの理由で、日本風に言うとエリート校のような小中学校、高校はいくつかあります。また春の高校卒業試験の平均点は、10点満点に換算されて毎年公表されます。それは、高校の偏差値と言えますが、恒常的な学校の序列化は、日本のようにはされていません。
日本には名門幼稚園や小中学校、高校があり、有名な高校や大学を卒業するとエリートとみなされます。フィンランドは社会格差を嫌うので、学校を巡るヒエラルキーは弱く、出身校はエリートと非エリートを分ける体系になっていません。
フィンランドでは、どの高校や大学を出たかはそれほど重要ではありません。学校名や大学名ではなく、何を学び、どう生きていくかのほうが重視されています。
日本は「学歴社会」ではなく、実際は「学名社会」。フィンランドの高学歴とは「修士」以上の学位を持つことまた「学歴」が意味するものも日本とフィンランドでは異なります。日本の学歴は、学名をですが、フィンランドで学歴は学名ではなく、学士、修士、博士などの学位を指します。フィンランドは高学歴化しており、会社勤務や政治家でも修士以上の学位を持つ人は多いです。
日本を学歴社会と思っている人は多いですが、実際は学名社会です。また有名4年制大学を出ると高学歴とされますが、国際的に見れば学士は「低い高等教育」であり、低学歴とも言えます。多くの分野で少なくとも修士が求められるようになっていて、高学歴とは修士以上を指します。
一方で、教育を若い時に限らないのもフィンランドの特長です。日本では、高校卒業後すぐ大学に進学するのが普通で、大学は10代終わりから20代初めの若者だらけですが、それは国際的に見ると一般的なことではありません。
2017年のOECDの調査で、日本の大学入学者の平均年齢は18歳、最年少です。フィンランドでは、2000年代はじめまで大学入学者の平均年齢は20代後半でした。それは国際的に見て遅いと認識され、あまり年数を置かずに大学進学することが奨励されるようになり、最近の大学入学者の平均年齢は23歳に下がりました。とは言っても、23歳は日本では大学を卒業し、就職している年齢ですが。
フィンランドには、高校卒業後すぐ大学進学、大学3年頃に就職活動開始、卒業後すぐ就職 といったシステムがありません。いつ大学に行くか、どういう順序で生きるかは、自由な社会なのです。
※『フィンランドの高校生が学んでいる 人生を変える教養』(青春出版社)の一部から引用・再構成しました。
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岩竹美加子(いわたけ・みかこ)
1955 (昭和30)年、東京都生まれ。フィンランド在住。ペンシルベニア大学大学院民俗学部博士課程修了。早稲田大学客員准教授、ヘルシンキ大学教授等を経て、同大学非常勤教授 (Dosentti)。著書に『PTAという国家装置』(青弓社)、『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(新潮新書) 等がある。最新刊は『フィンランドの高校生が学んでいる 人生を変える教養』(青春出版社)。