文=汪婉・中国社会科学院近代史研究所研究員
中日国交正常化からの50年の間に、中日関係は何度も困難を経験したが、全体的に平和・協力・発展の大筋を維持してきた。その成果は両国民に恩恵をもたらしただけでなく、アジア、ひいては世界の平和と繁栄にも貢献してきた。真の平和と友好の関係を築くことは、1972年の中日共同声明の原点である。
しかし、最近の国際情勢は大きく変化し、日本政府は米国に同調し中国牽制政策をとり、対中政策の消極的な面が浮き彫りとなっている。中日関係がどの道に進むべきかの重要な正念場にあるこの時期、中日国交正常化の「原点」を振り返り、考えることは大きな意義を持つ。
台湾問題は中日国交正常化の「原点」中の原点である。『中日共同声明』は以下のように示している。「日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」。「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」。
台湾問題について、私は程永華大使とともに日本で9年3カ月勤務した経験から、実例を挙げて見解を述べたいと思う。
2011年3月11日、東日本大震災による津波と福島原発事故が発生し、中国人民は身に染みて感じ、当時の胡錦濤国家主席は在中国日本国大使館を弔問し、直ちに中国国際救援隊を派遣した。日本と「志や価値観を同じくする」先進国の大使館が次々と東京を撤退している時、中国大使館は撤退しないばかりか、数十台の大型バスを被災地の救援に向かわせた。
2011年4月12日、私は11カ国の女性大使と大使夫人からなる慰問団に参加し、福島原発から50キロの場所にある福島県郡山市の避難所を訪れ、2000人以上の被災者をお見舞いした。巨大な体育館が避難所となっており、私は中国大使館を代表し避難所の子供たちに600個のパンダのぬいぐるみをプレゼントした。避難所にいる子供たちが笑顔で駆け寄ってきた場面は一生忘れない。放射線を浴びてでも来てよかったと思った。
5月、中国の温家宝総理は日本を訪問し、宮城県と福島県の被災地などを訪問し、被災者の人々を見舞いした。中国大使館の提案により、避難所の子供たちにパンダのぬいぐるみをプレゼントした。
その後、日本政府は毎年3月11日に「東日本大震災追悼式典」を行い、招かれた各国大使は献花している。2012年、日本の民主党政権は台湾地区の代表事務所に招待を出したが、各国大使と違う取り扱いを手配した。2013年に自民党政権になって以降、台湾地区関係者と外交使節の取り扱いは同じになった。中国大使館は何度も交渉したが、実らなかった。2013年から、中国大使は追悼式に参加していない。
この件により、私は日本政府に深い不信感を持ち、『中日共同声明』にある「日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し」という約束を軽率に破ることに、大変失望した。いま、日本の一部の政治家は「台湾有事は日本有事」とわきめたて、日本の台湾海峡介入を鼓吹している。これは日本自身を危険な境地に追いやり、中日関係を誤った道に向かわせることになる。
歴史問題も中日国交正常化の「原点」中の原点である。『中日共同声明』は以下のように示した。「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」。中日国交正常化50周年にあたり、私たちは両国関係が大いに発展したと評価すると同時に、両国関係が「何度も困難を経験し、波瀾に富んでいた」ことも指摘したい。これは、日本側の歴史認識問題が大きな原因の一つになっている。1980年代から、日本の歴史教科書問題、一部の政治家による侵略戦争を否認する誤った発言、日本首相の靖国神社参拝など、中日関係をひどく損ない、両国民の友好関係を壊した。日本国内の歴史教育は加害者意識を曖昧にし、被害者意識を際立たせている。
私が駐日中国大使夫人に勤めた頃、日本の学校から沢山の千羽鶴が大きな段ボール箱入りで送られてきた。全て学生たちが折ったもので、千羽鶴には「平和を祈る、中国は核兵器を廃除すべき」などと書かれていた。私は学校での講演によく招かれ、子供たちが日本は世界で唯一原爆被害を受けた国だと強調すると、私は「なぜ」と尋ねた。しかし、学生たちは答えられなかった。2013年以降、日本の首相は毎年8月15日の降伏日の演説に「加害」と「反省」の言葉がなく、歴史と誠実に向き合う勇気がなく、中日国交正常化の初心を忘れている。
『中日共同声明』のもう1つの重要な原点は、「中日両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである」。50年間の中日関係の発展は、このことが正確であることを事実で証明した。
しかし近年、日本政府は何事も「志を同じく、価値観を同じく」する基準で判断し、「民主主義対権威主義」をスローガンにしている。私は岸田文雄首相が今年6月26~30日にG7サミットとNATO首脳会合に出席した際のスピーチを精読した。岸田首相は口を開くと必ず「日本は価値観を同じくする国と手を取り合う必要がある」と述べ、「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」とあちこちで吹聴している。岸田首相の上述発言は地域情勢を緊迫させ、『中日共同声明』の「両国間の恒久的な平和友好関係を確立する」という原点と初心に背いている。日本側に、『中日平和友好条約』が明確に規定する平和と友好の義務、『中日共同宣言』の「両国間の平和友好関係を強固にし、発展させる」という内容、4つ目の政治文書の「双方は、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認した。双方は、互いの平和的な発展を支持することを改めて表明る」という重要な共通認識を再度噛みしめてもらいたい。
最後に、孫中山(孫文)氏が1924年11月に神戸での演説で述べた言葉を借りて、「今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか」、これもって日本政府に対して、歴史の同じ失敗を繰り返さないよう戒めたい。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2022年9月14日