日本国憲法が制定されるまでの主な出来事を、
時系列に沿ってご紹介します。
1945年
8月15日
終戦
9月2日
日本が降伏文書に調印
10月11日
マッカーサーGHQ最高司令官が幣原しではら総理大臣に憲法の自由主義化の必要性を示唆
10月27日
松本烝治大臣を委員長とする「憲法問題調査委員会」が初会合
【メモ:憲法問題調査委員会とは】
内閣のもとで憲法の調査研究を行うことを目的として設置された。メンバーは松本のほか、大学教授や元教授などで構成。顧問には憲法学者の美濃部達吉も。のちに「憲法改正要綱」をまとめる。
11月5日
元大学教授など民間の有識者で作る「憲法研究会」が初会合
【メモ:憲法研究会とは】
高野岩三郎(元東大教授)、鈴木安蔵(憲法史学者)、馬場恒吾(ジャーナリスト)、森戸辰男(元東大助教授・のちに文部大臣)などで構成された民間グループ。のちに「憲法草案要綱」を発表。
【メモ:他にも憲法めぐる動き】
憲法改正案などを作成する動きは、ほかにも多数あった。
自由党、進歩党、社会党、共産党といった政党が憲法改正の要綱や骨子などを作成したほか、「憲法懇談会」、「東京帝国大学憲法研究委員会」などのグループのほか、学者などが個人としても草案を発表した。
12月26日
憲法研究会が「憲法草案要綱」を発表
【メモ:憲法研究会の草案は】
国民主権を採用、天皇は国政をみずからせず、国家的な儀礼を司るとした。社会権や生存権を規定した内容にGHQは強い関心を示した。
1946年
1月30日
臨時閣議で松本大臣が「憲法問題調査委員会」でまとめた案を説明・議論
【メモ:憲法問題調査委員会の議論とは】
憲法問題調査委員会では松本委員長が「松本四原則」を示したうえ、議論が進められた。
四原則の概要は、
天皇が統治権を総らんする原則に変更を加えない。
議会議決を要する事項を拡充、天皇の大権事項を削減。
国務大臣の責任を国務の全般にわたるものにするとともに、議会に対する責任の拡大。
国民の権利・自由の保護強化。その侵害に対する救済方法を完全なものにする。
2月1日
憲法問題調査委員会の試案が毎日新聞によって報じられる
GHQは毎日新聞で報じられた案の保守性に驚いたとされる
2月3日
マッカーサー最高司令官がGHQ民政局に憲法草案作成を命じる
【メモ:GHQ草案作成】
GHQ独自の草案作成にあたって、マッカーサーは「三原則」を民政局長のホイットニーに伝えた。
三原則の概要は以下。
天皇は国の元首の地位にある。職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法の定めるところにより、国民の基本的意思に対して責任を負う。
国家の主権的権利としての戦争を廃止する。日本は紛争解決のための手段としての戦争、自己の安全を保持するための手段としてのそれも放棄する。
日本の封建制度は廃止される。
2月8日
日本政府が「憲法改正要綱(松本案)」をGHQに提出する
2月13日
GHQのホイットニー民政局長らが、政府にGHQ草案を渡す
政府による「憲法改正要綱(松本案)」は受け入れがたいと拒否
2月26日
政府、GHQ草案に基づく憲法改正草案の作成に着手
3月4日
日本側が「憲法改正草案」をGHQに提出
【メモ:GHQとの折衝は】
3月4日から日本側とGHQで夜を徹して条文ごとに詳細な検討が行われた。
3月6日
政府が「憲法改正草案要綱」を発表
4月17日
政府、「憲法改正草案」を公表
4月22日
幣原内閣総辞職
5月22日
吉田茂内閣成立
6月20日
政府、衆議院に「帝国憲法改正案」を提出
6月28日~
衆議院 「帝国憲法改正案委員会」を設置。改正案を付託し、質疑
7月23日~
衆議院 小委員会を設置し修正案協議
8月24日
衆議院で憲法改正案を可決(賛成421反対8)。貴族院に送付
【メモ:衆議院での修正は】
衆議院において9条の表現が一部修正されるなどした。これにより自衛のための戦力の保持を否定するものではないという解釈が可能になったとされる。国民の生存権、勤労の義務、国家賠償の規定なども設けられた。
10月6日
貴族院で可決
【メモ:貴族院での修正は】
GHQから要請があり、貴族院では、総理大臣や国務大臣は「文民」でなければならないという、66条第2項を挿入するなどした。
11月3日
日本国憲法が公布される
1947年
5月3日
日本国憲法が施行される
参考文献:
「日本国憲法の制定過程」に関する資料 平成28年11月 衆院憲法審査会事務局
「日本国憲法の誕生」国立国会図書館ホームページ
「改訂版 詳説 日本史研究」 山川出版社
年表・
憲法が制定された後のできごと